娘のことで悩んでいる一人の母親が、ある先生のもとを訪ねました。
先生は母親に聞きました。

「娘さんとは、依存しあえる関係ですか?」

依存しあえる関係・・・・・。
って、どんな関係だろう。
母親は、先生の言われる意味を、来る日も来る日も考えました。
わからないまま数日が過ぎ、また先生のもとを訪ねました。
先生は
「夢を見ましたか?」
と聞いてきました。
母親は
「先生が言われる『依存しあえる関係』とはどういう関係なのか、ずっと考えていて、夢を見る余裕もありませんでした。」
と答えました。
すると先生は
「では、夢を見てください。」
と言われました。
また、あるときは、
「絵を描いてください。」
と、先生は、母親が悩んでいる娘のことには、何一つふれようとしませんでした。
母親は、だんだんと、先生のもとに通うことを『楽しい』と感じるようになりました。
なぜなら、先生のもとに通っている間は、娘のことを忘れていられるからです。

何日か過ぎたある日、先生は言いました。

「娘さんと、依存しあえる関係ですか?」

あ・・・・・私は、今、先生に依存している。
母親は、先生が言う『依存』という言葉の意味が、やっとわかりました。
涙が流れました。
でもそれは、今までの辛い涙とは全然違います。

『娘はきっと、こういうことを自分に求めていたんだ。』
『どうしてわかってあげられなかったんだろう。』

その日を境に、母と娘の間には、今までにはない、とっても穏やかな時間が流れるようになりました。

ーおわりー

なんか心にじわっとくる話しだなぁって思うのは、私だけ?
この先生は、母親の「娘にとらわれてる心」を、とらわれから解き放ってくれたんですね。
とらわれがなくなると、それまで「苦」だと感じていたものが、一瞬にして「苦」ではなくなる。だけど、どーすれば、とらわれが消えるのか、みんなわからないでいるんだと思う。
逃げるのではなく、とらわれからの解放。
それは、自分ひとりの世界に閉じこもらないことが、大事なことだろう。
なるべく外へ出て、学ぶチャンスを作ることは大事だろうな。
結局、「とらわれ」なんて、自分の価値観から出ているものだから、自分以外の人の価値観を学ぶことも大事なのだ。と思う。